「万葉集」巻十四の東歌に 『にほどりの葛飾早稲を贄すとも そのかなしきを外に立てめやも』 とありますが、この地は米どころとして葛飾の野に実った早稲の新米を神様に供して新嘗の祭事を営んでいたことが窺えます。
また青戸付近は良質粘土の原産地として早くも古墳時代より土器作りを主要とした人々の生活の地でもありました。このように祭事に深く関わり営まれた信仰の地は葛西御厨(伊勢神宮の神領地)として応年5年(1398)下総国葛西御厨注文(鏑矢伊勢宮方記)に見えています。
その後、幾多の戦や行政の変遷などにも揺らぐことなく受け継がれ、三社明神(稲荷・白髭・諏訪)と称し、この里の鎮守神と崇られた様子が天正丙子年(1576)頃から文献等にみえ、その広大無辺の御神徳はこの里に人々が暮らしはじめてから千有余年変わることなく、今を生きる皆様の上にも遍く日夜加護されております。
そして明治の御代に入り、詔によって神社の正実を明らかにすることとなりました。
ー明治5年 社名を「白髭神社」と改称
−昭和18年 旧青戸4丁目鎮座の白山神社を合祀し、「青砥神社」と改称
−昭和35年 旧青戸町内に鎮座せる高木神社・八幡神社・北野神社・葛葉稲荷神社・水神社を合祀
−昭和45年〜55年にかけての環状七号線の整備により、葛西城址鎮座の青砥藤綱神社を合祀
猿田彦命(さるたひこのみこと) 進むべき道に正しく導いてくださいます
健御名方命(たけみなかたのみこと) 調和と団結の心を与えてくださいます
宇迦之御霊命(うがのみたまのみこと) 豊かな恵みと心に憩いを与えてくださいます
伊耶那美命(いざなみのみこと) 万物の母神としてお守りくださいます
高皇産霊神(たかむすびのかみ) 生成を司り殖産興業をお佑けくださいます
誉田別尊(ほんだわけのみこと) 私たちを邪神からお守りくださいます
菅原道真公(すがわらのみちざねこう) 知識教養を与えてくださいます
彌都波能目神(みずはのめのかみ) 汚れを祓い身心健全を授けてくださいます
青砥藤綱公(あおとふじつなこう) 千辛万苦に際し天佑神助を取り持つ神様です